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2006年4月 1日 (土)

『白バラの祈り―ゾフィー・ショル、最期の日々』

太陽はまだ輝いている。

『白バラの祈り―ゾフィー・ショル、最期の日々』

1943年2月18日、ナチス政権下のミュンヘン大学構内で自由を訴えるビラがばらまかれた。
実行したのは打倒ヒトラーを掲げるレジスタンス「白バラ」のハンスとゾフィー兄妹。学校関係者の通報によりナチスの秘密警察ゲシュタポに捕らえられた二人は、厳しい尋問、理不尽な人民法廷での裁判の後「大逆罪」で処刑される。ビラをまいた日からわずか5日後である。
21歳の平凡な女学生だったゾフィー・ショル。最期の時まで毅然とし、信念を貫き通した彼女の5日間を、ゲシュタポの記録や関係者の証言等から克明に描く。

非常に骨太な映画でした。
久々にマジ泣きし、映画終了後放心してしまいました。

「太陽はまだ輝いている」
映画の中で、ゾフィーは何度も空を見上げる。
レジスタンス活動のため大学に向かう時も、逮捕され連行される時も、収容所の小さな窓からも。後ろ手に縛られ、両脇から抱えられて処刑所に向かう時すらも、体を精一杯ねじって太陽の光を求めている。
彼女達の求めた自由の象徴である太陽、21歳の少女には重過ぎる信念のよりどころとなったのがこの太陽の光であるかのように演出された映像は、どれも素晴らしかったです。

大学でビラをまくシーンの異様な緊張感、逮捕後の調査官との密室劇のような心理合戦、間に挿入される拘置所で同部屋の女性との何気ない会話、裁判シーンであらわになるナチスの狂気とそれに屈しない白バラたちの対比、そして暗転した画面で音だけが響く処刑シーン。
緊迫感あるシーンの連続。
映画の編集としても、とてもよくできた映画だと思います。

ゾフィー役のユリア・イェンチの演技も素晴らしかった。
最初は荒川静香に似てるなぁ~って思っていたらだんだん萩原流行に見えてきた(笑)んですが、そんなバカバカしい発想がぶっとぶぐらいの芝居。
まっすぐな強い意志を持った瞳、毅然とした態度でゾフィーのゆるぎない意志を表現し、一方で取調べ中の手の動きで表現する不安感や一人きりの時にのみ見せる恐怖心も迫真に迫っていた。特に斬首刑が確定した後即執行されると悟った時の全身から振り絞るような叫び声はすごい。

取調官ムーア役のアレクサンダー・ヘルト。
ファシズムに洗脳されたナチス側の調査官でありながら、ゾフィーとのやり取りの間に彼女と自分の息子を重ねたりして次第に人間的な面もあらわになってくる役。ユリア・イェンチとの一対一のまるで密室劇のような緊張感はすごかった。
憎たらしい存在であるムーアだが、やり取りの間で彼が戦前は貧しい労働者階級でありナチスによって取り立てられた人物であったことや、戦争に行っているゾフィーとひとつ違いの息子がいることなどが分かってくる。ゾフィーを尋問しながら次第に彼女と息子を重ねて見るようになり、自分の信じてきた価値観が揺らいでしまう。そして情報提供と引き換えに彼女を救おうとする。史実でも拘置所のゾフィーに差し入れしたりしていたらしい。
ヒトラーが存在してなかったら、戦争がなかったら貧しいながらも平凡なお父さんだったであろうムーア。戦争や恐怖政治がいかに人間の人生を曲げるか・・・

公開裁判といいながら傍聴席にはナチス党員のサクラばかり、ナチスの手先で質問すらしない国選弁護人、そして司法テロと後に呼ばれる裁判官フライスラーの怒号。そのような状況の中でもゾフィーたちは仲間をかばい、自由を訴える。この自分の良心を貫き通す姿勢はすごい。身震いがしました。

政治や法律は時代と共に変わる。でも、人の良心はどの国でもどの時代でも普遍である。

そう、太陽のように。

ヒトラー独裁政権下のナチスの恐怖政治は60年前に倒れた。
しかし今も東欧や中東では多くの血が流れ、世界のあちこちには独裁国家も存在する。
そして日本でもビラを蒔いて逮捕されるというニュースが飛び交う。

自分はもしゾフィーと同じ立場に立たされた時、良心を貫くことが出来るか?

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